さよなら2008年

僕等の前にもう少しだけ 楽しい未来が降るように
あなたの前にもう少しだけ 無邪気な笑顔が降るように
今日よりも 現在よりも

今年もいろいろあったけれど、辛いことも悲しいこともあったけれど、この先に暗雲がたちこめているけれど、もう少しだけ、そう、ほんのもう少しだけでいいから、楽しい未来が降ってきてくれるように、そう願っています。僕は笑顔で生きていきたい。

今年こそはきっとあなたに
たくさんのいいことがありますように

さよなら2008年、待ってろよ、2009年。

さよなら2001年/Mr.Children
シングル「君が好き」収録

HOME

2006年11月28日に「まだ限界だなんて認めちゃいないさ」というダイアリーを始めて、2年が経ちました。2年なんて、あっという間ですね。なんでも飽きっぽくて三日坊主が屏風に上手に絵を書いたような僕ですが、毎日は書けてはいないにしても、一応は続けれ来られたのは奇跡的です。これは「ブログ」が素晴らしいものだからこそだと思います。ブログのおかげで知り合いが増えた、ブログのおかげでお金持ちになった、ブログのおかげで背が伸びた、ブログのおかげで彼女が出来た…あ、嘘ばかり言いました。

知り合いが増えたのが一番大きかったと思います。というかそれ以外ない。人との繋がりって本当に大切。単身東京に上京してきて友人と呼べる存在が一人もいない状態だったので、身に沁みてわかりました。今これを読んでくれているディスプレイの前のあなたは僕の友人です。一方的に今決めました。あ、見捨てないで!ブログが素晴らしい、と言うより、ブログは人と繋がれるから素晴らしいのですね。

2年続けてきて、より良いエントリが書けるようになったのかというと、そうでもないですね。初めはゲームについて書くブログだったものがネット関連のエントリが増え、ネタエントリが増え、食べ物エントリが増え、で、結局なんでもありな感じになってしまいましたが、それこそブログらしいといえばブログらしいのかもしれません。

今では、何でもありな「ブログ」と、よくわからない「日記」とわけてみたのですが、「ブログ」をいちから始めるのは少し悩みました。今まで続けて書いてきたエントリの存在がこの「まだ限界だなんてみとめちゃいないさ」にあったから。僕にとっては大人数である50人もの人にlivedoorReaderに登録してもらえていたわけで、それ以外でもRSSを登録してもらえていて、そのうち何人の人に読んでもらえているかわからないけれど、「誰か」に読んでもらえていたことは確か。あの人やあの人には確実に読んでもらえている、と言うのはわかるので、まあそれだけで十分なんですけど、書くからにはたくさんの人に読んでもらいたい。結局のところ僕は寂しいんですよね。誰かに「面白かった」って言ってもらいたいんですね。

はてなで始めたこのダイアリーですが、はてなだからこそ検索で引っかかったりキーワードからアクセスされたりすることも多いんですね。いちから始めたブログだとこうはいかない。それまたちょっと寂しかったり。

はてなユーザはてなダイアリーを好んで読む、という面もあるのかもしれません。あるユーザが、外部のブログと「○○の日記@はてな」と二つのブログを運営しているとして、いちはてなユーザは「○○の日記@はてな」のみ購読して、外部のは読まないっていう場合が多いんじゃないかと思います。推測ですけど、僕はそういう傾向があったんで。

それもこれも、はてなで始めた宿命なのかもしれないですね。他のブログサービスだとこうはいかなかったと思う。

ここが僕にとっては「HOME」なんですよね。ブログを始めたとしても。なのでまだここは続けたい。ブログのほうもたくさんエントリを書きたい。やりたいことはまだまだたくさんあるし、飽きっぽい僕でも当分続けられそうです。ブログ万歳。

長々と書きましたが、なんかいつも同じようなことを言っているかもしれませんが、言いたいことは、「これからもブログ共々よろしくお願いします」と言うことです。

タガタメ

子供らを被害者に 加害者にもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?

意図的に加害者となる場合は問答無用でダメと言えるし、防ぎようがあるけれど、自分が意図しないところで加害者となってしまう場合も多々あるのだな、と最近起こった事件を目にしてそう思う。砂風呂も、いじめではなく純粋な遊びとしてやっていたのなら、意図しないで加害者となってしまう事件だろうし、9歳の男の子がおばあちゃんちに行くために自動車を運転した事件も、事故を起こそうと思って運転したわけではないだろう。

でももしも被害者に 加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない

加害者にならないためには、「思いやりの心」が必要なわけで、他の人のことを考える「想像力」のようなものが必要だろう。「これをやったらどうなるのだろう」「相手がこれをしたら嫌だろう」「自分がこういうことをされたらどう思うか」といったことだ。「思いやりの心」を持つように愛情を注いで育てる、なんてよく言われているかもしれないけれど、「愛情」なんてのは意図的に注ぐものじゃないと思う。それこそ意図しないところで、無意識に、当然のように注がれるものなんだろと思うけど、どうだろうか。僕は愛せているのだろうか。




話は変わるけれど、NHKで放送されていた「デジタルネイティブ」と「Education2.0」を観た。自分以上に子どもはネットやコンピュータが当たり前の世界でこれから成長する訳なんだな、と今更ながら思ったわけで。生まれながらにしてPCやネットが身の回りにあり、キーボードの打鍵音が子守唄、Wiiリモコンがガラガラ代わり。それはないか。

そんな時代で育っていく子どもに僕は何が出来るのだろうか。何をすべきだろうか。「掲示板で犯行予告してはダメだ」とか「違法なダウンロードをしてはダメだ」とか、そんなの当然なんだけれど、そんな単純なものではなくて、いまの時代ではダメなものも、これからの時代ではダメとは言い切れないことが、きっと出てくる。僕なんかよりよっぽどデジタルネイティブになるであろう子どもが、「この街」つまり「ネットがあるという世界」で生きていくときに、適切な説明とか対応とかできるように、これからも僕も勉強していかなければな、と思う。ネットのあるこの世界は悪くないよ。

タガタメ/Mr.Children
アルバム「シフクノオト」収録

あんまり覚えてないや

先日、家族で僕の実家に帰省した。1年に1回の帰省。前回帰ったのはいつだっけ?新幹線の乗車時間がどんどん短くなっても、帰省するのは1回。きっとどこでもドアが発明されようとも帰省回数は増えないかもしれないと思うと、なんだか申し訳なくなる。

飼い犬も随分と年をとったなあ。いかにも「老犬」だ。目が見えなくありつつあるのに僕が近寄ると吼えること吼えること。見えないからこそ吼えるのだろうか。

犬も年をとるように、両親も年をとる。って犬と比較したらダメか。父ももうすっかり「おじいちゃん」だ。見た目ではなく、孫がいるから。

じいちゃんになったお父さん
ばあちゃんになったお母さん
歩くスピードはトボトボと

散歩に出かけることにした。

父と二人で散歩なんてもう15年はしていないだろう。二人きりだったらなんだか気恥ずかしくて出来ないけれど、子どもも一緒ならすんなりと受け入れることが出来る。家の周りをぐるりと子どもと三人で散歩をする。


「このほそば*1の実は昔よく食べたな」
「え!?これって食べられるの?」
「甘いんだよ」


初めて聞いた。

28年生きてきたけれど、こうやって父と話をした覚えがない。そう言えば、父の子どもの頃の話も聞いた覚えがない。そう思うと、なんだか無駄に過ごした、というか、大切なことをまだしていない、話すべきことをまだ話していない、そんな気さえもしてくる。

だけど覚えているんだ 若かった日の二人を
あぁ きっと忘れない

キャッチボールをしたり 海で泳いだり
アルバムにだって貼り付けてあるんだもの
ちゃんと覚えてるんだ ちゃんと覚えてるんだ
ちゃんと覚えてるんだ こんなに

歩いていると、自分が子どもの頃の記憶がふと蘇った。

ボールでガラスを割って怒られたこともあった。お手製のバスケットゴールを作ってくれたこともあった。草むしりもした(あまり手伝わなかったけど)。柿の実を採ったり、ブドウを採ったりもした。釣ってきた魚を外でさばいている父の姿も思い出した。釣りが好きなのに、あまり付き合ってあげられなかったな。ごめん。


僕は子どもに耳打ちして、子どもの口から言わせた。自分で言うのが恥ずかしかったから。

「あまりタバコを吸いすぎないようにね」

子どもへの副流煙が心配だからさ、と付け加えるように僕は言ったのだけれど、本当は父の体が急に心配になったからなんだ。

また近いうちに帰るよ。

あんまり覚えてないや/Mr.Children
アルバム「HOME」収録

*1:イヌマキhttp://ja.wikipedia.org/wiki/イヌマキ) 垣根として生えている。

CENTER OF UNIVERSE

今僕を取りまいている 世界はこれでいて素晴らしい

僕がよく読んでいるブログでいつもポジティブなことしか書かないと言っている人がいるんだけれど、それはとてもいいことだと思う。僕もバカが付くほどの楽天家だけれど、ネガティブなことをうっかり書いてしまいそうにもなる。

「僕を取り巻いている世界」と言うのはリアルな世界とネットの世界、まあどちらも現実のことには変わりないのだけれど、ネットの世界だけでも素晴らしくありたい、なんて書くと現実逃避かな。どっちも現実なんだけれど。どちらにしても、世界は素晴らしい、とポジティブシンキング。

イライラして過ごしてんなら愛を補充

なんかよくわからないんだけれど、わからないなら言うなといわれそうだけれど、最近イライラしている人が多そうなので、愛を補充すればいいと思う。愛って何?気がつけばそこにあるもの、だったよね確か。何に対する愛か、って?対象が人じゃなくたって、音楽に対する愛だっていいし、Webに対する愛だっていいわけで。イライラしている人は何かしら自分の最愛のものから愛を補充すればいい。

あぁ世界は薔薇色
総ては捕らえ方次第だ

捕らえ方次第でどうにでもなるんですよね、ネガティブなのは。

愛なんてないよ、なんて人は、まだ見つけていない愛が転がっているとでも考えればいいし。
恋人がいない、って人は、運命の人がこの先で待っていると考えればいいし。
お金がない、って人は、まだ財布にお金を入れるスペースが余っていると考えればいいし。

そんなの口先だけの話じゃないかと言われたら、ハイそうですね。何の意味もないですよね。何も解決しない。…いけない、ネガティブになるところだった。

ここは そう CENTER OF UNIVERSE
僕こそが中心です
あぁ世界は素晴らしい

僕こそが中心で何が悪い、僕を中心とするこの世界は素晴らしい、と思って、例え本当は悪い状況でも自分で素晴らしくしていけばいい。ネガティブな気分のときは、この曲は本当にお勧めです。ロッキーのテーマばりにがんばれます。

CENTER OF UNIVERSE/Mr.Children
アルバム「Q」収録

同年代の友人達が 家族を築いてく
人生観は様々 そう誰もが知ってる

という歌を聴いた当時、僕は家族を築く将来なんてまるで想像もできないでいた。きっと自分は一生独りで生きていくんじゃなかな、と早くも諦めていた。何をやってもダメで、容姿にも自信が持てず(今だって自信があるわけじゃないけれど)、そんな感じだからモテるわけもなく、ネガティブ思考全開だった。

この歌に共感するにはあまりにも若すぎるのに、当時は「十数年後にはこの歌が身に沁みてわかるようになるのかな」なんて思ったり。


未来なんて誰にもわからないとはよく言ったもので、何の因果か、それとも奇跡でも起こったのか、僕はすでに家族を築いている。だからというわけでもないのだけれど、あまり悲観しても仕方ないことだってあるんだと思う。

腐っていた当時の自分に、「大丈夫だよ」と言って自分の子どもの写真を見せてあげたい。きっと驚くだろうな。信じられないかもしれないけれど、事実なんだよ、と言って。

かと言って家族を築けば、楽しい事もあれば大変なこともある。築けば終わり、ではなくて、築き続けていくものだから。完成型だってない。それこそ死ぬまで続く、永遠のベータサービス。

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ今

大変なのは築くことではなくて、維持すること。維持するためには仕事だってがんばらなくてはならないし、家族のため家庭のため、考えなければならないことが山ほどある。そんな当たり前のようなことをわかっていなかった。昔から甘いんだよね、考え方が。



「花」を聴くと僕はなぜか秋を感じる。
残暑も終わり、正真正銘の秋が訪れた。寒さと共に身を引き締めてがんばろう。明日も。明後日も。来月も。これからも。


花 −Memento-Mori− / Mr.Children

ブログ、はじめました

冷やし中華はじめました」「LOVEはじめました」みたいなタイトルですが、このたびブログというものをはじめました。今更何言ってんだ、このd:id:capelitoがあるじゃないかと思われるかもしれませんが、ここは「はてなダイアリー」であって日記だったんですね。日本人は日記とか言いますしね。このd:id:capelitoのことをダイアリーと呼んだりブログと呼んだり表記揺れがひどかったのですが、今日からココはダイアリーで統一。


新しいブログはこちら。
http://capelito.from.tv/wp
screenshot
http://capelito.from.tv/wp


なぜブログを始めたのかと言うと、はてなダイアリーが嫌になったわけでもなく、ただなんとなく、というのが理由と言えば理由なんですが、WordPressに興味があったのと、僕はなんにもスキルを持っていないので、少しぐらい勉強しなければな、と。僕の数少ない友人知人は皆一様にWordPressMovable Typeでブログを構築しているので、憧れたりもしていました。

別にブログサービスを利用しているのが偉くない訳でも、サーバ借りてるから偉い訳でもないのですけどね。それよりもコンテンツがしっかりしていたり、エントリの内容が面白かったり有用であったりするほうがずっと大切な訳で、どこでブログを書いているかなんてそれほど重要じゃないですよね。

ろくなエントリを書いているわけでもなく、PVがあるわけでもないんですが、あえてめんどくさい手順(ってサーバ借りてWordPress導入するのをめんどくさがっている時点でダメだとは思うのですが)を踏むことで、自分を追い詰めようと思います。

で、ブログとダイアリーとの使い分けをどうすべきか全く思い浮かばなかったのですが、冒頭に書いたようにここでは日記を書いていこうかと。これまた憧れなんですが、id:kowagariさんとかid:heiminさんとかid:llenaさんとかid:Delete_Allさんとかの面白いダイアリーを読むたびに自分も面白い日記を書いてみたいなと思っていました。書く前からいきなりハードルを高くしてしまった感はありますが、あんなに面白い日記は書けないとしても、練習も兼ねて「日記」を書いていきたい。日記なんてmixiでやれって?残念ながら誰からも誘ってもらえないかわいそうな人なのですよ僕は!

そしてブログのほうは今までのように「なんかのレビュー」とか「動物の写真」とか「ご飯」とかを続けようかな、と。本当はテーマを絞って書いたほうブログらしいのかなあ。そもそもブログってなんだろう。未だに良くわかりません。テーマがないブログって日記なんじゃないかな…。

ちなみにさくらインターネットの「さくらのレンタルサーバ・スタンダード」を借りて、WordPressを導入してみました。WordPressの導入の仕方はこちらを参考にしました。ありがとうございました。このエントリがなかったら僕はWordPressに手を出していなかったと思います。

イチから始めるさくらインターネットでWordPress生活 - カイ士伝
screenshot
http://blogging.from.tv/wp/2008/01/20/43

ドメインは「capelito.from.tv」を選びました。「from.tv」を選んだのはもちろん上記「カイ士伝」さんに影響を受けたからです。ほら、弟って何でもお兄さんの真似をしたがるじゃないですか。僕にはお兄さんも弟もいないんですが、たぶんそうです。で、そっくり真似してみました。ありがとう兄さん(NIGHT HEADふうに)。


という訳で新しいブログとダイアリーをよろしくお願いします。がんばります。


とか言って速攻でブログのほうを断念してダイアリーのみになってしまうかもしれませんけどね!