なぜゲームをすることが後ろめたいのか

「ゲームばかりしないで」

みなさん、ゲームは好きですか?ここで言うゲームとは「テレビゲーム」のことを指し示します。ゲーム、好きですか?僕は好きです。断言しちゃいます。子どもの頃からゲームに慣れ親しんだ世代です。ファミコンスーパーファミコン・・・、とゲームの成長と共に、自身も成長してきました。え?ゲームが好きだなんて成長していない、「見た目は大人、頭脳は子ども」じゃないかって?まあそういわれたらそうかもしれないのですが…。

「ゲームばかりしないで勉強しなさい!」と子どもの頃に親から言われた方も多いのではないかと思います。「ゲームばかりしているとバカになる」、と。それに対抗するかのように、「ゲームは一日一時間」と高橋名人は言いました。僕たちはその言葉を頼りにゲームを正当化していました、と言えば言いすぎですが、1時間を2時間になんとか引き伸ばしたりして遊んだものです。

そんな抑圧がゲームに対する後ろめたさを生んだのかもしれません。

 小口氏は日本人の自殺率が先進国といわれる諸外国と比べて格段に高いことに着目。年間3万人以上が自殺する日本は、世界10位の自殺大国となってしまっている。これに小口氏は、日本人の「遊ぶ」ことへの後ろめたさも要因だと語り、本質的な改善がなくてはと提唱する。遊び楽しむ快感を得るチャンスがないだけで、遊ぶ行為は重要で必然なのだと、辞職した安倍氏が掲げた「美しい国、日本」ではなく「楽しい国、日本」を目指すべきだと力説した。

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自殺問題と直接は関係が無いのですが、僕たちはゲームに対する後ろめたさを確かに持っています。ゲームばかりするのは良くない、これは当たり前だしわかってはいるのです。子どもの頃であれば勉強や運動など、ゲームよりも優先すべき大切なものがあったし、大人になればゲームよりも仕事を優先すべきに決まっています。ろくな稼ぎを持って帰っていないのに、家に帰ってゲームばかりをしていれば、奥さんから怒られるのも当たり前です*1

ゲームでコミュニケーションがとれたら

でも。ゲームをやることに後ろめたさを感じたくないですよね。楽しくゲームをしたい。どうしたら後ろめたさを感じなくてすむのでしょうか。

勉強を完璧にこなす、または仕事も家事も完璧にこなし、誰からも文句を言われない状態になれれば、後ろめたさを感じなくなるのでしょう。でも現実問題として無理。完璧なんてありえないですし、何かしらの文句は出てしまう。稼ぎはいつだって足りない。お風呂場のカビ取りもしなければいけない。

逆にゲームは悪ではない、と思ってもらえればまた後ろめたさも感じる必要もないのかもしれませんが、一度ついたイメージを変えるのは難しい。世間では「ゲーム脳」だなんて悪のイメージがはびこっている。まかり通っている。

僕は何故ゲームをしたいんだろう、ゲームの何が楽しいんだろう、と今一度考えてみると、一人で黙々と難題を解いていくのも楽しいのですが、友達と対戦をするのも楽しかったな、と言うことを思い出しました。友達と対戦をするということは、友達とコミュニケーションを図るのとほぼ同義なんじゃないでしょうか。

コミュニケーションをとることは大切ですよね。友達ともだし、家庭内でコミュニケーションをとることも大事。そのコミュニケーションをとるための道具として、ゲームを使うのはアリなんじゃないかと。ゲームで楽しみつつ、コミュニケーションもとれるなら、ゲームは悪者じゃないと言えるかもしれません。胸を張ってゲームが出来るかもしれません。

「僕は君とコミュニケーションがとりたいんだ、だから一緒にゲームをしよう」、なんて言ってみるのも良いかな。


と言うゲームをしたいがための言い訳。

*1:ごめんなさいごめんなさい