たとえば、

たとえば、僕はこのブログでいろいろ書いていますが、僕と言いつつ性別は女性かもしれない。
Wiiのエントリを書いていますが、Wiiを持っていないかもしれない。
ツンデレな妻がいるとか言っていても、空気嫁かもしれない。


だって証拠がないから。


実名も出ていないし、顔写真も出ていないから。
Wiiの写真は載っているけど、捏造かもしれないから。
妻の写真もないから。


全部嘘かもしれない。


そう考えると、なんだかつまらないですね。



たとえば、「この間、○○というラーメン屋に行ったら、虫が入っていた」と書いたとします。
読んだ人は、そのラーメン屋を避けるようになるでしょう。


でも。
実際に入っていたかもしれない。
僕が入れたのかもしれない。
僕はラーメン屋に行っていないかもしれない。


たとえば、「この間、○○というラーメン屋に行ったら、超絶においしかった」と書いたとします。


本当においしかったのかもしれない。
僕がラーメン屋の関係者かもしれない。


ネガティブな情報だと信じて、ポジティブな情報を疑問に思うのは問題だけれど、すべて嘘だ、と思うのもつまらない。

書き手が嘘をつくのが一番良くないけれど、読み手も「嘘かもしれないし、本当かもしれない」と考えることも必要なんじゃないかと思う今日この頃でした。

書き手としては、本当だって信じてもらえるような文章を誠実に書き続けようと思います。いや、普段嘘を書いている訳じゃないんですけどね。