今週のお題:ブログをやっていて良かったこと

今週のお題は「ブログをやっていて良かったこと」です。ブログをやっていてよかったことなんてたくさんありますね。ブログのおかげでお金持ちになった、ブログのおかげで恋人ができた、ブログのおかげで生き別れになっていた血のつながっていない妹がみつかった、ブログのおかげで毛が生えた、ブログのおかげで見逃すところだった「渡る世間は鬼ばかり」の録画予約に間に合った、ブログダイエットに成功、ブログ大会で優勝、初の著書「ブログをやっていて良かったこと」が500万部の大ベストセラー、ドラマ版は平均視聴率が50%を超え、それを受けて製作された映画版も興行収入が500億円を記録、ブログのおk

本当は、『ブログのおかげで世界が広がった』ですね。ブログを始めるまでは友達もいなかったのが、ブログをやっていたおかげで色々な人と出会うことができました。例え離れて暮らしていても、ネットワーク越しにつながっていることが出来るのは、ブログで出会ったからならではだと思います。ブログで儲けたいなんて思わないし、こうやって出会いがあったのは、お金以上に価値があると思います。まさにプライスレス。

プライスレスといえば、多くの人に僕が書いたエントリが読まれて反響があるのも、嬉しいことですね。一円の特にならなくたって良いんです、読んで『面白かった』といってもらえたり、ブックマークされるだけでも、すごく嬉しい。なんの取り柄もない僕ですが、エントリを読んでもらえるのはそれだけで存在価値を認められた気分になります。

単に寂しがりやなだけな気もしますが、それでも、これからもブログは続けていきたいですね。

今週のお題:私の好きな写真

前のエントリ「今週のお題:私とはてなとの出会い」を『れいこん賞』にノミネートいただきました。

▽by d:id:capelitoさん
...冒頭、「てな」との出会いについて書いた創作が魅力的!
→ http://d.hatena.ne.jp/capelito/20090216/1234795475
(中略)
上記でご紹介したブログは、今月末に発表させていただく「れいこん賞」(は
てなTシャツ)の候補作とさせていただきます!

今週のお題は「私の好きな写真」です - はてなダイアリー日記

魅力的ですって!褒められた。あんなどうしようもなく、くだらない文章を読ませてしまって申し訳ないと思っていたのに、褒められてしまいました。嬉しい限りです。

そして、メルマガにも載っています!全はてなユーザid:capelitoの名を知らしめることになりましたね!え?メルマガ取ってない?読まずに捨てた?なんですかそのヤギさん郵便は!だめですよ、みんなで読もうはてなメルマガ!

では今週のお題です。今週は「私の好きな写真」ということで、これはつまり「私の好きな写真(家)」ということですね。家を忘れてしまったんですね。家なき子。写真家ってあまり知らないんですけど、ほぼ日で菅原一剛さんの連載(「ほぼ日」にわか写真部。とか)はいつも楽しみにしています。あと篠山紀信さんのエッセンシャルにおけるキャラクターは、どこか悪意があるんじゃないかと心配しています。

はてなで言えばid:heiminさんやid:merecoさんが好きです。heiminさんは、実は写真を撮ってブログを書くことが出来るネコの神様なんじゃないかと思っているし、merecoさん(アルファブロガーアワード受賞おめでとうございます!)は、実は写真を撮ってブログを書くことが出来る虫の神様なんじゃないかと思っています。失礼極まりないですね。でもそれくらいネコ写真や虫写真の印象が強い。もちろんそれ以外を被写体にしている写真も素晴らしいんですけどね。ご飯とか、鳥とか。

違う違う。

私の好きな写真(機)」ということで、ようするにカメラのことですよね。紛らわしい。僕の好きなカメラは、最近購入した「Nikon D40」と、トイデジカメの「VQ1005」です。VQ1005は本当に好きで、まあこればかりは好みが別れるかもしれないけれど、『キレイ』ではなく『面白い』写真が撮れます。あの色合いといいボケ具合といい、独特という言葉では片付けられないほどなんですけど、唯一無二な感じが好きです。まるで『はてな』のようですね。うまいこと言った。れいこん賞くだs

これも違う。今週のお題は、「私の好きな写真」ですね。

今週のお題私の好きな写真

えーと、本題です。好きな写真はたくさんあるんですけど、一番好きな写真は子どもの写真なんですが、さすがにそれは出せないので、買ったばかりのD40の素晴らしさを疲労しようと思ったのですが、まだまだ腕が未熟ですので、大好きなVQ1005で撮った写真をあげてみたいと思います。


近くの神田川に飾ってあった『こいのぼり』の写真です。結構前に撮った写真なのですが、お気に入りです。近所の幼稚園児が作ったこいのぼりらしく、微笑ましいですよね。

VQ1005で撮った写真のいいところは、誰が撮ってもそれっぽく見える、えーと、やはり『色合い』と『ボケ具合』ですかね。普通のカメラで撮った写真にエフェクトをかけても作れそうな絵ですが、それをすることなく、カメラのみで、しかも、液晶によるライブビューもなく、ファインダーもあてにあらないようなこのカメラで撮ることが出来るのが、個人的には素晴らしいともいます。でもこればかりは好みなので、なんだこの写真、と言われて仕方がありません。でも写真ってそんなものだと思います。



調子に乗ってまた狙ったりするから寒いことになる、という悪い見本になったと思います。著名なはてなユーザが参入してきたら、きっとひとたまりもないでしょう。だから参入してこないといいなあ。いや、ダメだ。「今週のお題」を盛り上げなくては。集まりすぎて読んでくださるはてなスタッフが困るくらいになればいいと思います。勝手に意気込んでみました。ではまた次回のお題でお会いしましょう。

今週のお題:私とはてなとの出会い

ダイアリを更新していなかったので、折角なのでお題に沿って書いてみたいと思います。これまでのよくわかんない文章のことはさておいて。


今週のお題は「私とは、てなとの出会い」ってことで、私とは何者なのか、そして『てな』との出会いについて書いてみたいと思います。

まず話を進める為には私についてお話しなければなりません。私ことid:capelitoは1980年、父:椎茸夫(しいたけお)、母:ナメ子との間に生まれました。そうです、ファビコンの通り、キノコです。椎茸が入っているというだけで、様々な料理の中で迫害を受けていた父からは、キノコとして生きていくうえでの厳しさを教えられ、すくすくとcapelito少年は成長していきました。カサもそれはそれは大きくなりましたが、軸はそれほどでもありませんでした。

そんなある年、capelitoは運命的な出会いを果たします。そうです、あの『てな』との邂逅です。capelitoは大層『てな』を可愛がり、また『てな』も同じくらい、いや、それ以上にcapelitoになついていたと言います。どこへ行くのにもいつも一緒。お風呂だって。まあキノコは水洗いすると風味が落ちるので、浸かったのは『てな』だけでしたが。

しかし、ある冬のとても寒い日のことです。突如capelitoの前から『てな』が姿を消しました。こたつの中にも、お気に入りだった縁側にも、ストーブの中にもいません。洗濯機の中にもポストの中にもいません。もちろんトイレの中もです。半狂乱となったcapelito中年は母ナメ子を問い詰めます。

「ああ、汚くなっていたから捨てたわよ」

なんということでしょう。いつ、どこに行くにも一緒だった『てな』。思い出が走馬灯のように蘇ります。牛乳ビンの蓋が取れないと泣いていた『てな』、お菓子の詰め放題だからといって袋にぎゅうぎゅうに詰め込んで原形をなくしていた『てな』、みかんは薄皮ごと食べたほうが栄養にいいと聞いてじゃあ皮に栄養があるのならとみかんを丸のまま食べていた『てな』、そんな『てな』ともう会えないだなんて。

そう、『てな』とは、あr

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もう『てな』はどうでもいいですね。

今週のお題私とはてなとの出会い

僕とはてなとの出会いは、子どもの成長記録を日記に記録したい、と思い立ち、プライベートで使うことのできるブログサービスを探したところから始まります。それで出会ったのが「はてなダイアリー」でした。プライベートモードで使えば誰にも見られないし、携帯電話からメールで投稿も出来るので、この目的としてはうってつけでした。

それまで「はてな」はよくわからない「キーワード」が検索結果に頻繁に出てくるな、と思っていた程度で、どんなところかは全く知りませんでした。人力検索でポイントがもらえるとと知って回答してみたり、ブックマークってなんだろう、と思って使ってみたり。プライベートなダイアリは続けていたのですが、「ブログ」としてエントリを書いてみたくなって始めたのが、この「まだ限界だなんて認めちゃいないさ」でした。

「ブログ」を書くのはなんだか恐くて、気合を入れて書き始めた記憶があります。いまじゃこの体たらくですが。でも、はてなでブログを始めたのは正解だったかもしれません。エントリを書き、ブックマークがつき、PVも増え、…ってのははてなで始めたからこそだと思うんです。はてなで始めたからこそ知り合いも増えたといって過言じゃないし。

これからもはてなを利用していきたいと思います。

SUPERMARKET FANTASY

一言で言えば、このアルバムには「希望」が詰まっていた。いや、詰めていたんだろう。これは意図的なものだと思っている。こんな世の中だからこそ、せめて曲の中に希望を見出して欲しい、というメッセージなんじゃないか、というのは考えすぎだろうか。


スーパーマーケットには様々な希望が詰まっている。その希望を求めて、人々はスーパーマーケットに行く。


スーパーマーケットといえば「はじめてのおつかい」じゃないけれど、僕の記憶の奥底にあるのは、妹を連れて自宅から1キロほど先にあるスーパーへ向かったときのこと。小学校低学年の頃だろう。僕は当時大流行していた「ビックリマンチョコ」を買いに行った。子どもだけで買いに行くのでドキドキしていたと思うけれど、それ以上に親はドキドキどころか心配していただろうと今になって思う。

1キロ以上あったかもしれない、と思うのはやっぱり子どもの足だったからだろうけれど、遠かった記憶がある。いつもは車で行っていたその店まで何を思って歩いたのかはさっぱり覚えていない。妹を連れて行ったはずなんだけれど、話しながら行ったのか、黙って歩いていたのかさえ覚えていない。

覚えているのはただ一つ。ビックリマンチョコは売り切れていた、ということだけだ。しかたがないので他のお菓子を買って帰った。


ビックリマンチョコという「希望」がスーパーにはなかったのだけれど、この世界にも同様に希望がないのかというと、そうではなくて、いや、そうかもしれないけれど、例えそうだとしても、「希望」が売り切れていたとしても、「希望」を得るためにした努力というか、その工程が、経験が大切なんだと思う。ビックリマンは売り切れていたけれど、子どもだけでお使いをした経験、お使いに行かせた経験、それらを得ることが出来たんだから。

だから希望を求めたい。何処にもないかもしれないけれど。


SUPERMARKET FANTASY / Mr.Children